【第4日】令和
おはようございます。
(自分の中で)続くか不安に思われたこの日記もついに4回目となりました。
といっても大した内容は変わらずないんですけどね。
新元号が発表されましたね。
令和。文字からイメージされる涼しげでクールな印象と、声に出して読んだ時の舌で転がす間も無くスッと溶けるのに、少しとろみのある柔らかい音。好ましく思います。
家に帰ったら早速こんなものが。おばあちゃんしか書く人はいませんから、和みました。丁寧にふりがなまでついている。
前に書いたとは思いますが年始以来おばあちゃんの就寝が早くなり、夜帰宅すると寝ていることがほとんど。でも今日はまだ寝室に電気が点いていたので、部屋を覗いてみるとちょうど横になったところでした。
目があって、ほころぶように笑うおばあちゃんの顔が好きです。
何か変わったことはないかと部屋を見渡すと、ベッド横の簡易トイレ(前回のやつ)の近くの柱にトイレットペーパーホルダーができてました。ハンガーのような太い針金を折り曲げて、ビスか何かでしっかりと固定されたもの。もとから簡易トイレにはペーパーホルダーがなくおばあちゃんが不満を漏らしていたので、「これ、できたんだね。よかったね」と言ったら満面の笑みで「すごくいい。とっても」と返ってきました。日曜に家にきた父の成果でしょう。
とても喜んでいるとLINEしておこうと思います。
やっぱりうちは物作りが好きな家系なんだなあ。
新年度が始まり、わたしとおばあちゃんはこれといって特段環境が変わったりはしないのですが、わたしは心機一転して何かを始めてみようと思っています。それも続くといいな。
それでは。
読んでくださってありがとうございました。
おまけ
桜。
月並みな言葉ですが、綺麗でした。
愛
【第3日】4年
こんばんは。
今家への帰路に着いています。
日付が変わる前に家に着いて、お線香をあげたい。ビールがあるなら一緒に飲みたい。
今日は、前回書いた日記に挙げた、おじいちゃんの命日です。
こんな時間に帰るのでおばあちゃんとは話せませんが、おばあちゃんとおじいちゃんは二人でどんな話をしたのかな、なんて思いつつ電車に揺られています。
そもそもお正月に体調を崩して以来、おばあちゃんはわたしが定時で仕事を終えて帰宅した時も既に寝ていることが多いのですが。
前に書いた通り、うちには昔工場(こうば)があって、おじいちゃんの引退とともに取り壊し、その場所に今の居間をつくりました。(いまのいま……)
テレビの上のスペースに、おじいちゃんの仏壇が鎮座しているのですが、その手前が写真の感じ。ひなまつりの時におばあちゃんがデイサービスで作った折り紙のひな壇に、百均で父が買った太陽を浴びて動くおもちゃ。
おじいちゃんの仏前は、にぎやかです。
これはお墓参りの後にわたしの母が焼いた餃子。おいしかったです。
今日はそんな感じで、特に内容はありません。一日一日、ゆるやかに過ごしています。
ともかくおばあちゃんが早く寝てしまうので、会える時にたくさん話をしたいなぁ。
日付が変わってしまいそうなので、走って帰りたいと思います。
それでは。読んでくれてありがとうございました。
【第2日】お彼岸
こんばんは。あたたかかったり、寒かったり、気温がまだまだ読めないですね。服装に迷ってしまう。
昨日、お墓参りに行ってきました。
前回言ったこと少し掘り下げると、おばあちゃん、年末年始に風邪を引きまして。
ただの風邪と侮るなかれ、歳のせいかはわかりませんが、長引くしベッドから起き上がれないし、挙句「食べることが一番楽しみ」というおばあちゃんが「食べられる気がしない」となるまでよわよわになる始末。
なんとか1月を通して少しずつ少しずつ回復して、よわよわの身体と心を労わりながら2月を越し、ようやく3月で風邪を引く前くらいまでに元気になり、歩いたりお勝手に立ったりできるまでになりました。
なのですっかりご無沙汰だったお墓参り(もちろん父や父の姉、わたしは行きますが、おばあちゃんは体調を考慮してお留守番続きでした)に誘ったら前向きな返事が帰ってきたので、父の運転する車に乗って、お墓まで。
面子は父、母、東京に住む兄、そしてわたしとおばあちゃん。向かうのはおじいちゃんのお墓です。車の中では手をつなぎました。いつもわたしが仕事から帰ってくると、もう寝室で寝る準備を済ませたおばあちゃんと握手をするのですが、その時はわたしの方が手が冷たい。わたしが冷え性なのもあるし、おばあちゃんが寝る前だからかも。
でも昨日は肌寒い日だったせいか、おばあちゃんの手の方が冷たくて新鮮でした。すっかり風邪から快復したおばあちゃんに、握力試しをされたり、「愛の手はごつごつしてて大きいねえ」と言われて少し凹んでいたりするうちに、お墓に着きました。
おじいちゃんが亡くなったのは4年前です。91歳でした。その最期の1年間弱は、わたしたちは3人でこの家に住んでいました。
おじいちゃんは、おばあちゃんのネガティブさに真反対から対抗できるポジティブさの持ち主でした。声が大きく、くしゃみも大きい。テレビが好きで、おばあちゃんと二人で野次を飛ばしながら野球を見るのが好きでした。
お互いに耳が遠いから、わたしを通訳みたいに使って3人で話したりもしました。
余談ですが、うまく歩けなくなってきて、簡易トイレがほしいね、という時の話。レンタルや購入という手立てや、便利な器具自体があるのにもかかわらず、おじいちゃんはうちにある既存の椅子で自ら作ることを考えました。父の姉やおばあちゃんの反対を押し切り、「俺は作りたいんだ。愛、手伝え」と笑いました。3時間くらいずっと、椅子のサイズを測り、木を削り、組み立てて。座っては問題を見つけ、また試行しての繰り返し。
出来上がったものには沢山の不都合があり、結局ちゃんとしたものを購入することになりましたが、それもわたしとおじいちゃんとのあたたかい思い出です。
もともと家の一角にある工場(こうば)で金属部品を作っていたものだから、ものづくりが好きなおじいちゃん。その血は父に流れ、そしてわたしに流れ。わたしもものづくりが好きです。だから、楽しかったなぁ。ちょうど今月が命日の月なんです。4年も前なんて信じられないくらい。
5人で並んで、手を合わせました。兄がお墓を濡れタオルで拭き、母が花を供え、父がお線香に火をつけて。わたしはずっとおばあちゃんの手を握っていました。手を合わせ終わり、父と母と兄が後始末(水を汲んできたバケツを戻したりお線香を包んでいた新聞紙を捨てに行ったり)をしてその場を離れ、わたしは車へとおばあちゃんの手を引きました。
おばあちゃんは泣いていて、脚がおぼつかないことに対してか、「ごめんね」と言いました。わたしは「ゆっくりでいいよ」と背中を撫でました。
前に。それもやっぱりおじいちゃんのお墓参りの帰りでした。おばあちゃんの話が印象に残っています。
おじいちゃんとおばあちゃんは、青森で生まれました。従兄弟同士で、親の言われるまま一緒になり、体調の関係で戦役を逃れたおじいちゃんとおばあちゃんは二人で今の家(埼玉県)まで移ってきたそうです。その話をしてくれた後に、「おじいちゃんは、こんなばばのこと、(親に)言われて結婚したけども、少しでも、これだけ一緒にいたから少しでも、好きだったらいいなあ」と呟いたのを、わたしはずっと覚えていようとその時思いました。
わたしは二人が一緒にいた時間よりも生きていないから、涙を流すおばあちゃんの胸に押し寄せるさみしさの大きさも重さも、きっと想像したところでかなわないんだろうなと思います。
それでも、おばあちゃんの小さな背中を見ているだけで、わたしがおじいちゃんと一緒に暮らした時の思い出があふれて、胸がつまりました。
本当のことを言うと、思い出だけじゃなくて。どんどん弱っていくおじいちゃんの、ポジティブなおじいちゃんの弱音を聞いた時。夜、階下から鳴る笛の音(階段下に、何かあった時用にホイッスルを下げてました)。「愛、愛」とおばあちゃんが呼ぶ縋るような声。言葉にできない、得体の知れないものが迫ってくる不安な日々のあのこわさが、ふと4年前から戻ってくる。
でももちろん、4年も前だし、薄れてはきたんですよ。やっぱり思い出すことは、楽しいことの方が多くて。
デイサービスでは歌が上手いと評判だったとか。髭を剃ってみるかと言われたこととか、入れ歯を洗ってみろと言われて洗ったら、父の姉やおばあちゃんが「普通孫には入れ歯なんて洗わせられない」って引いたこととか。ポジティブでなんでもやってみようとするおじいちゃんとネガティブでなんでも否定しようとするおばあちゃんの口げんかも、今にして思えば本当に聞いてて楽しかった。口げんかに楽しいって言っていいのかな。
そういう感じの、楽しかった思い出や感傷が胸を満たす。それがさみしくて、おばあちゃんの手を握りました。
わたし、おばあちゃんに「愛がいてくれてよかった」と言ってもらえるように、おじいちゃんに怒られないように、支えるね。
思わず長くなってしまいました。お墓参りが終わった後はみんなでステーキを食べました。おばあちゃんの好物はお肉です。
それでは。読んでくれて、ありがとうございました。愛
【第1日】きっかけ
面倒臭がりで日記なんてなかなか続かないわたしですが、こりもせずまた始めます。
タイトルにあるように、
「おばあちゃんと暮らす日々」
をテーマに、その日あったこと、話したこと、そこから感じたことなどを書き綴っていきたいです。
わたしは、今年95歳になったおばあちゃんと一緒に暮らしています。日中わたしは働きに出て家を空けます。
でも、週に2回ヘルパーさんがウチを訪ね、木曜日にはデイサービスセンターに行き、電車で30分程離れたところに住んでいる父のお姉さんも週に1.2度必ず来てくれて、隣の県に住んでいる父も週末にはやって来ます。
隣の家の方とも、すぐそばにある洗濯屋さん(クリーニング屋さんですが、おばあちゃんは洗濯屋さんと呼ぶのでわたしもすっかり洗濯屋さんと呼ぶようになりました)ともおばあちゃんは仲良しで、おばあちゃんの妹さんの娘さんも歩いていける程近くに住んでいるのでちょくちょく家を訪ねてくれます。
ちょっと登場人物が多くて混乱しますね。
ともあれ、わたしたちは沢山のやさしいひとたちに囲まれながら、日々を送っています。
わたしたちはふたりで住んでいるけれど、ふたりだけで生きているわけではないのだと、ふと思っては、感謝と自戒を重ねる日々です。
この日記を始めようと思ったのは、特に大きなきっかけがあったわけではないのですが。
ただ、おばあちゃんの風邪だったり、色々なことが重なって、「大切にしたい」という気持ちが日に日に大きくなりました。
おばあちゃん自身ももちろんそうだし、何より毎日を大切にしたい。95歳って、極端な話、もう明日何があってもおかしくない。ネガティブな考え方かもしれませんが、だからこそ、おばあちゃんと笑いあえる毎日を、ちゃんとわたしの中に取り込んで、わたしが生きる糧にしたい。一緒に暮らしているからこそ、わたしができることをおろそかにしないように、甘えないように、こうして書き残すことにしました。
最初だから少しおかために綴ってしまったけれど、AB型のおばあちゃんとO型のわたし、マイペースでのんびりなわたしたちの毎日は基本的にひどくおだやかです。そんな時もちゃんと残していけたらと思います。
これからもわたしとおばあちゃんを見守ってくださる方がいたら幸いです。
読んでくださって、ありがとうございました。
愛