【第18日】お彼岸
こんばんは。
秋分の日を越えまさしく日が落ちるのが早くなりましたね。
そういえば前回の日記でおじいちゃんのことを書いた時は全然意識してなかったんですが、この前は偶然にもちょうどお彼岸でした。
土曜日に父と母が車で来てくれたので、お墓まいりに行ってきました。おばあちゃんはお留守番。
父は昔からボケたがる、ユーモアに溢れた人で、広い墓地を3人並んで歩きながらも駄洒落を連呼していました。母は朗らかな性格で、場所を考えて大きな声は出しませんが、わたしと二人して口許を緩め、「ボケたぞ」とでも言うようにドヤ顔を決める父に応えるように頷いてました。
実家を離れてからよく思いますが、たまに家族で集まった時の謎の団結感というか、まるまったようなあの感じはなんなんでしょうね。
もうそれぞれのポジションが決まっているからこそ、ただそこに在れるだけで安心できるような心地。
はちみついちごジャムトーストを食べるおばあちゃん。
手紙シリーズ。
手紙、なんだかんだで読めなかったことは一度もありません。癖がわかっているからかな。
今日はまとまらない、他愛のない話でした。
明日もいい日になりますように。
これからスーパーに走って、おばあちゃんに食べてもらえるおかずを作りたいと思います。
読んでくれてありがとうございました。
愛
【第17日】おまじない
こんばんは。
もう9月も半ばを過ぎて、その早さにびっくりしています。本当にあっという間。気づいたら年末になってそう。
今日は短めに、おばあちゃんとのおまじないの話をします。おまじないというより、願かけかも。
夜、家に着いて施錠してあるドアを開け、居間にバッグを置いてから、開いたままの襖から彼女の寝室を覗く。目を瞑っている時はそのまま音を立てずに居間に戻るけど(ちなみに多少音を立てたところで気づかないのだけど)、目を開けていたら、ただいま、と声をかける。
目があって、ほころぶ顔が好きだ、っていうのは前にも書いたかもしれない。
冷蔵庫に入っているおかずのことや、デイサービスに行った日は何をしたかなどを二言三言話して、最後にかける言葉が今日のテーマ。
また明日ね、おやすみ。
きっかけというより、意識したのはそれこそおじいちゃんの介護をしていた時だ。おじいちゃんは肝臓が悪く、お腹に水が溜まって、みるみる歩けなくなっていった。病気の進行があまりにも早く、日々走るようにその気配が近づいてくるのがおそろしかった。願うようにおじいちゃんの手を握りながら、また明日ね、また明日ねと繰り返した。いずれやってくるその日が、一日でも多く延びるように。
そんなことを書くとおばあちゃんの状態が危ないのかと思われそうだけど、おばあちゃんは昨日もその前も、おじいちゃんが旅立ってから4年ずっと、目が合えば眉毛をハの字にして笑うし、おじいちゃんが好きな巨人戦を眺めながらデイサービスで習った指の運動をして、サーモンの刺身にこれでもかと喜ぶ。
元気か、というのはおばあちゃんの主観だからわたしには判断しかねるけれど、本人に聞くと、痛むところはない、とほっとしたような、どこかさみしそうな顔をする。きっとそれはそれで思うところがあるのだろう、おばあちゃんはひどくネガティブで、心配症だから。
長生きすることが喜ばしいとは、95年も生きていると一概にそうも思えないらしい。だからこれはきっとわたしの身勝手なわがままだ。
おばあちゃんは気づいているのかもしれない。でも多分、気づいていないだろう。
談笑しながら手にふれて、そっと込める願いは、5年前からずっと、変わらない。
また明日ね、っていう、小さな願かけの話でした。
色々書くと長くなってしまうのでこの辺で。
読んでくださって、ありがとうございました。
愛
【第16日】夏風邪の話
おはようございます。
前回の日記、8/7あたりかな?に書いておいて投稿をすっかりし損じておりました。
あっという間にお盆休みが終わって一週間が経ちましたね。昨日は突然の雨で、普段から傘を持ち歩かないわたしは職場に置き傘をしておいて助かりました。そういうとこだぞ(自戒)。
あんまり天気予報も見ないんですよね。おばあちゃんが朝起きてる時は聞くんですけど、最近は寝てるから……っていうのは言い訳ですね。
でも通り雨に当たったことや傘を忘れて濡れて帰ることはあまりないんですけど、夜間の冷房の効き過ぎで夏風邪をひいておりました。
ちょうどお盆休みはいって次の火曜日あたりから咳が出始め、でも気にせず過ごしてたらその週の土日にどんどん気になる程になってしまって、お盆開けて月曜は頭が重くなってきて熱を測ったら微熱。その微熱がなかなか下がらなくて、夜の咳は止まらず…といった具合でした。もう熱は下がり咳もほとんど出ないので治りかけですが、用心していきますね。心配してくれた友人に感謝です。
おばあちゃんは本当に心配症なのであまり知られたくなかったのですが、父が無惨にもバラし(言い方)、やはり心配をかけさせてしまったので「これはこれで早く治さねばならんな」と思いましたね。
まだ雨が降ったり気圧の変化も大きいと思うので、読んでくださる方も体調にはお気をつけて。
おばあちゃんが少し体調を崩しているので、風邪を移してしまったのかとわたしも心配ですが、注視していきますね。
また栄養のあるおかずでも作ってみます。
最後に、久しぶりの書き置きシリーズ。
「お帰りなさい
風邪 大丈夫でしたか
無理したんぢゃないの
ケーキ ヒバリの三時のオヤツでした
少し つまんだけど どうぞ
お先に」
やさしい、お茶目でかわいいおばあちゃんです。ありがとう。
それではこの辺で、仕事に行って参ります。
読んでくださってありがとうございます。
愛
【第15日】在り方とにんじんしりしりの話
こんばんは。
最近、今更ではありますが日が伸びたのを鮮明に感じます。帰り道に夕焼けを見ることができるのがこの季節の嬉しいところですなあ。
そういえば大学生時代に茗荷谷駅近くを歩くと、大きな通り沿いのビルの窓が一斉に夕焼けを反射してオレンジ色に染まるのがとても綺麗で、記憶に残ってます。あの辺りは、春は播磨坂がピンクの雲に覆われて綺麗なんですよね。懐かしき大学時代。あれからもう5.6年ですか………やだやだ。
さて今日は書きたいことがふたつ。
まずひとつが在り方の話。
いちいち書くことでもないかなとも思いますが、整理のために。
この日記、あまりおばあちゃんばかりにこだわらず、ほかの、自分のことも書いていきたいなと思います。
というのも、更新を続けるため、自分の中の気負っている部分をちょっと軽くしようと思って。もともと前回述べたように気持ちの消化を早くできるようになることが最大の課題であり目標目的なのですが、それをするための一つの方法として考えました。
でも日記のテーマとしてある「おばあちゃんと暮らす日々」は、どうしてもわたしの生活の中心だしたいせつにしたいものなので、基本的におばあちゃんの話ばっかりします。ただ「わたしが」おばあちゃんと暮らす日々なので、なんだろうな、もっとハードル下げていいんだよ〜っていう自分への慰め?かもしれません。
今までと何が違うって明確に定義づけるものはありませんが、わたしの中の、気持ちの在り方として少し書かせていただきました。心の整理にお付き合いありがとうございます。
さてさてふたつめ。にんじんしりしり。
「とにかく野菜を摂らねば」という短絡的な考えのまま買った人参4本が、あまりの放置に耐えきれず野菜室で芽を伸ばしてたので、炒めました!
それにしても「にんじりしりしり」って字面にしても声に出してもかわいいですね。郷土料理とは聞きますが、一体どこのなんでしょうか。後で調べてみます。よくわからないまま作ってしまったので、もしかしたらこれはしりしりではないのかもしれません。さすがに4本を千切りするのは手間だったので割と平べったい感じに。まずそこから違うかも。
大皿で冷蔵庫に入れておいたら、翌日帰宅した際におばあちゃんからの第一声が「人参おいしかった〜」でびっくりしました。
最近はおじいちゃんの習字の先生がおかずを持ってきてくださることも多く、お腹を空かせないようにとお惣菜も買い込み、おねえさんもお弁当を買ってくることが多いので、あんまりおかず作っても減らなかったんですよね。なのでまず優先的に食べてくれたことにびっくり。やっぱりオレンジは目を引くのかな。
そしてたくさん褒めてくれました。
「味つけがおいしくておいしくて、魔法をつかったのかと思ったよ」
あまりにその言い方がかわいいので、目を合わせて数分間くらいニコニコし合いました。今度わたしもおいしいご飯を作ってもらったら言ってみようと思います。
なかなか一緒に食べることが土日しか叶わないのですが、やっぱり「一緒に食べる」って良いなぁと。なんでしょうね、うまく言葉にできないけど、食べ物って自分の体をつくっていくものだから、同じ空間で同じものを食べて、話題を共有して。そんなやりとりに「共に生きる」ということを色濃く感じたりします。
あとはやっぱり、ご飯のときはおばあちゃんがよく笑うから。それがもっと見たいと思う。
なのでこれからも、ちまちま料理をつくったりにんじんをしりしりしたいと思います。レパートリーも増やしていきたいです。
そんなふたつのお話でした。読んでくれて、ありがとうございます。それでは。
愛
【第14日】ご無沙汰しました
こんばんは。
やっぱり継続って難しいなと感じる日々です。
今年は色々「アウトプットしよう」を日々の指針にしてはいるのですが、まずインプットして自分に取り込む、なんというか「消化する」ということに時間がかかる人間なんだなって最近自覚しました。またその消化したアレソレを文字化するのも苦手だし、繋げて文章化するのも苦手で。
苦手意識はよくないのですが、こうして思うのはますますblog向いてないってことですね。
前は苦手じゃなく、自分のリズムで自分の言葉で紡ぐことがむしろ得手だったような気もするから余計に悔しいです。
でもそれこそ継続なんですよね。日々積み重ねなければ上達もない。と、ポジティブに前を向いて、過去の自分に負けないように今度こそ週一くらいは確実に更新できるようにしたいです。
前置きが長くなりました。
おばあちゃんの話。
わたしのおばあちゃんは、相変わらずです。杖をつきながら廊下をどたどた歩き、偶に杖を忘れつつもどたどた歩き、日がな一日居間の座椅子に腰掛け、お茶を淹れ、来客との歓談に興じています。
この前わたしが大阪に行ったので、好物の赤福を。赤福、大阪駅でも買えるのが有難いです。いつか伊勢にも行きたいなあ。
ちなみにおばあちゃんは伊勢に行ったとしばらく勘違いしてました。
日々の写真を。
毎週末には父が来てくれるので、昨日は近所のお寿司屋さんから父がテイクアウトしてくれたお寿司をいただきました。
すぐ食べてしまったので写真はありませんが、それほどおいしかったです。
おばあちゃんはサーモンが大好きで、それこそ近場のスーパーでよくお寿司を買うんですが、さすがにお寿司屋さんのネタの大きいサーモンを前にして、目を輝かせ「本物の寿司だね!」と喜んでおりました。かわいい。
すかさず父が「じゃあいつも食べてるのは偽物かよ」と突っ込んでました。
おばあちゃんを前にしては誰もがツッコミになってしまうのは、見ていて面白いです。
わたしは最近は割と眺めがち。
薄着になったおばあちゃんの写真をこうして見返すと、改めて夏が来たなという実感があります。
読んでくださる方、お互いに熱中症には気をつけていきましょう。
それではこの辺で。
ありがとうございました。愛
【第13日】わざとか否か
ご無沙汰しておりました。おはようございます。久しぶりすぎて、前回挙げた上のお花もカーネーションが取り払われ、これ、なんでしょう、バショウの葉?のみとなってしまいました。それに伴ってクマさんも中央へ。圧倒的存在感。誰が移動したんでしょうね。おばあちゃんかお姉さんかな。
相変わらず元気です。これを書くのが久しぶりすぎて、何を書けばいいのか一周回ってわからなくなっています。
ちなみにこれはデイサービスで習った指の運動を反復している図。本来は指を人差し指が順にくるくる回していくんでしょうが、おばあちゃんはテレビをひたすら見ながらくっつけたり離したりしています。かわいいからいいか。
じゃあ、今回はしょうもない話をひとつ。
かわいいなぁ和むなぁと思うきらめきのような些細な思いを、ひとつひとつ瓶に入れて貯めておきたいなぁと思う日々です。
デイサービスのお土産をまたティッシュにくるんで置いておいてくれたり、日々のお手紙だったり、デイサービスで行ったしまむらにお目当てのものがなくてしょぼくれていたり、寝に行ったと思ったら「杖を忘れた」と歩いて戻ってきたり。(書いたかもしれない)
そんな中でも好きなのが、おばあちゃんが寝る直前にわたしが帰宅した時の「今鍵を閉めて寝るところだったんだよ」とうれしそうに笑う顔。
その日も鍵を開けると、玄関から一続きの廊下の奥にあるおばあちゃんの寝室から光が漏れていて。声をかけると、気づいて弾むようにわたしの名前を呼ぶ声。その手前の居間にさっと荷物をおろして、おばあちゃんの寝室の少し開いてる襖の幅を広げると、お待ちかねの笑顔。
あぁかわいい。思った刹那、ちょっと視線を下げたら、履いてなかったんですよね。何も。
いやそんな時に呼ばれても。
着替え途中だったんですけど、あまりのタイミングというか、何も弁解しないおばあちゃんにも、面白くなってきちゃって笑ってしまいました。おむつ替え手伝おうか?と言う間もなく「冷蔵庫ね、食べてね」と手を振られ寝室を後にしましたがさすがに中々に珍事件だったんじゃないかな…。
今日は仕事後に母に会うので、話してみたいと思います。反応が楽しみです。そんなしょうもない話でした。朝からする話じゃありませんでしたね。
それではこの辺で。
読んでくださって、ありがとうございました。
愛
【第12日】母の日
こんばんは。
前にも増して、日々が明るくなってきましたね。花々は色づき、木々の葉も青々として。
仕事終わりにも橙の雲が遠く伸びていくのを駅まで歩きつつ眺めました。
視覚だけではなく、鼻にも花が放つ香りが届くようになりました。咲いた色の濃さに呼応するみたいに、匂いの強さも変わるような気がしています。
冬から春になる時を「目覚め」と呼ぶことが多いイメージですが、なんだかこうやって色や匂いであったり、その苛烈な鮮やかさが迫ってくるのを感じて、わたしは今が目覚めだなぁと思った一日でした。
さて。
昨日は母の日でしたね。群馬からやってきた父が、母が購入したらしいおばあちゃんへのお花をお土産にしておりました。今日母に電話したら、「父は一銭も出してないんだよ、実の息子なのに!」とぷりぷりしていましたが、わたしも母に何もあげてないので何も言えませんね。
「まだ受け付けてるよ」と陽気に笑っていたので早めに何かあげたいところです。
思い出話ですが、わたしが小学生のころは、毎年母の日と町の剣道大会の日が重なっていて。一二年生の部、三四年生の部、五六年生の部、と毎年メダルを母にプレゼントしていました。
当時はプレゼントという感覚は薄かったのですが、それでも母の笑顔は印象的でした。やっぱり母としては一段と嬉しいメダルだったのかなと、今になって思います。
小学校からずっと、わたしの剣道を応援してくれました。毎朝毎朝はやくに、稽古場所である小学校の体育館まで送迎してくれて、高学年から通い始めた道場にも車を出してくれて。中学、高校と上がるたびに防具を新しくしてくれて、月に何本も竹刀を買って。大会の度に県外まで連れていってくれて。応援にも来てくれて。一緒にいろんなところに行きましたね。こうして書くと、本当に凄いと実感します。
加えてもちろん普段の学生生活も、沢山沢山サポートしてくれました。ご飯に洗濯に本当に沢山。感謝してもしきれませんね。育ててくれて、全力でぶつかってきてくれて、ありがとう、お母さん。
母の日記になってしまうので久しぶりのおばあちゃんの手紙シリーズ。
「トマト入りのピザ ごめんね」
わたし、トマトが苦手です。でもそれは生がダメということで、焼いてあるものについてはまぁ食べられるんですが。
おばあちゃん、気にして書いてくれたんですね。ありがたいです。これは食べられるのでおいしくいただきました。
手紙の「ピザ」絶妙に「ビザ」にも見えるのがツボです。半濁音って書きにくいのかもしれませんね。
では今日はこの辺で。
これは、わたしの居ない内にいらっしゃったくまさん。カーネーションなので、父のお姉さんが持ってきてくれたものかもしれません。かわいい。
読んでくれて、ありがとうございました。
愛