【第2日】お彼岸

 

こんばんは。あたたかかったり、寒かったり、気温がまだまだ読めないですね。服装に迷ってしまう。

 

昨日、お墓参りに行ってきました。

 

 

前回言ったこと少し掘り下げると、おばあちゃん、年末年始に風邪を引きまして。

ただの風邪と侮るなかれ、歳のせいかはわかりませんが、長引くしベッドから起き上がれないし、挙句「食べることが一番楽しみ」というおばあちゃんが「食べられる気がしない」となるまでよわよわになる始末。

なんとか1月を通して少しずつ少しずつ回復して、よわよわの身体と心を労わりながら2月を越し、ようやく3月で風邪を引く前くらいまでに元気になり、歩いたりお勝手に立ったりできるまでになりました。

 

なのですっかりご無沙汰だったお墓参り(もちろん父や父の姉、わたしは行きますが、おばあちゃんは体調を考慮してお留守番続きでした)に誘ったら前向きな返事が帰ってきたので、父の運転する車に乗って、お墓まで。

 

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面子は父、母、東京に住む兄、そしてわたしとおばあちゃん。向かうのはおじいちゃんのお墓です。車の中では手をつなぎました。いつもわたしが仕事から帰ってくると、もう寝室で寝る準備を済ませたおばあちゃんと握手をするのですが、その時はわたしの方が手が冷たい。わたしが冷え性なのもあるし、おばあちゃんが寝る前だからかも。

 

でも昨日は肌寒い日だったせいか、おばあちゃんの手の方が冷たくて新鮮でした。すっかり風邪から快復したおばあちゃんに、握力試しをされたり、「愛の手はごつごつしてて大きいねえ」と言われて少し凹んでいたりするうちに、お墓に着きました。

 

 

おじいちゃんが亡くなったのは4年前です。91歳でした。その最期の1年間弱は、わたしたちは3人でこの家に住んでいました。

 

おじいちゃんは、おばあちゃんのネガティブさに真反対から対抗できるポジティブさの持ち主でした。声が大きく、くしゃみも大きい。テレビが好きで、おばあちゃんと二人で野次を飛ばしながら野球を見るのが好きでした。

お互いに耳が遠いから、わたしを通訳みたいに使って3人で話したりもしました。

 

余談ですが、うまく歩けなくなってきて、簡易トイレがほしいね、という時の話。レンタルや購入という手立てや、便利な器具自体があるのにもかかわらず、おじいちゃんはうちにある既存の椅子で自ら作ることを考えました。父の姉やおばあちゃんの反対を押し切り、「俺は作りたいんだ。愛、手伝え」と笑いました。3時間くらいずっと、椅子のサイズを測り、木を削り、組み立てて。座っては問題を見つけ、また試行しての繰り返し。

出来上がったものには沢山の不都合があり、結局ちゃんとしたものを購入することになりましたが、それもわたしとおじいちゃんとのあたたかい思い出です。

 

 

もともと家の一角にある工場(こうば)で金属部品を作っていたものだから、ものづくりが好きなおじいちゃん。その血は父に流れ、そしてわたしに流れ。わたしもものづくりが好きです。だから、楽しかったなぁ。ちょうど今月が命日の月なんです。4年も前なんて信じられないくらい。

 

 

5人で並んで、手を合わせました。兄がお墓を濡れタオルで拭き、母が花を供え、父がお線香に火をつけて。わたしはずっとおばあちゃんの手を握っていました。手を合わせ終わり、父と母と兄が後始末(水を汲んできたバケツを戻したりお線香を包んでいた新聞紙を捨てに行ったり)をしてその場を離れ、わたしは車へとおばあちゃんの手を引きました。

 

おばあちゃんは泣いていて、脚がおぼつかないことに対してか、「ごめんね」と言いました。わたしは「ゆっくりでいいよ」と背中を撫でました。

 

前に。それもやっぱりおじいちゃんのお墓参りの帰りでした。おばあちゃんの話が印象に残っています。

 

おじいちゃんとおばあちゃんは、青森で生まれました。従兄弟同士で、親の言われるまま一緒になり、体調の関係で戦役を逃れたおじいちゃんとおばあちゃんは二人で今の家(埼玉県)まで移ってきたそうです。その話をしてくれた後に、「おじいちゃんは、こんなばばのこと、(親に)言われて結婚したけども、少しでも、これだけ一緒にいたから少しでも、好きだったらいいなあ」と呟いたのを、わたしはずっと覚えていようとその時思いました。

 

 

わたしは二人が一緒にいた時間よりも生きていないから、涙を流すおばあちゃんの胸に押し寄せるさみしさの大きさも重さも、きっと想像したところでかなわないんだろうなと思います。

それでも、おばあちゃんの小さな背中を見ているだけで、わたしがおじいちゃんと一緒に暮らした時の思い出があふれて、胸がつまりました。

 

 

本当のことを言うと、思い出だけじゃなくて。どんどん弱っていくおじいちゃんの、ポジティブなおじいちゃんの弱音を聞いた時。夜、階下から鳴る笛の音(階段下に、何かあった時用にホイッスルを下げてました)。「愛、愛」とおばあちゃんが呼ぶ縋るような声。言葉にできない、得体の知れないものが迫ってくる不安な日々のあのこわさが、ふと4年前から戻ってくる。

 

 

でももちろん、4年も前だし、薄れてはきたんですよ。やっぱり思い出すことは、楽しいことの方が多くて。

デイサービスでは歌が上手いと評判だったとか。髭を剃ってみるかと言われたこととか、入れ歯を洗ってみろと言われて洗ったら、父の姉やおばあちゃんが「普通孫には入れ歯なんて洗わせられない」って引いたこととか。ポジティブでなんでもやってみようとするおじいちゃんとネガティブでなんでも否定しようとするおばあちゃんの口げんかも、今にして思えば本当に聞いてて楽しかった。口げんかに楽しいって言っていいのかな。

 

 

 

そういう感じの、楽しかった思い出や感傷が胸を満たす。それがさみしくて、おばあちゃんの手を握りました。

 

 

わたし、おばあちゃんに「愛がいてくれてよかった」と言ってもらえるように、おじいちゃんに怒られないように、支えるね。

 

 

思わず長くなってしまいました。お墓参りが終わった後はみんなでステーキを食べました。おばあちゃんの好物はお肉です。

 

 

それでは。読んでくれて、ありがとうございました。愛